北海道の鉄道遺産を巡る旅

道北(宗谷・上川・留萌)編
宗谷本線(旭川〜稚内)、旧稚内桟橋駅 (地図
稚内港北防波堤ドーム
古代ギリシャ風のドームは、旧帝国時代に稚内とサハリンを結んだ稚泊航路に連絡する稚内桟橋駅の跡で、駅の北風を防ぐ全長424mの巨大建造物は北海道遺産にも指定されている。現在も利尻・礼文航路の起点で、夏場は屋台が並んで活気を見せる。
旧天北線(音威子府〜南稚内)、旧浜頓別駅・浜頓別バスターミナル内天北線資料展示コーナー (地図
浜頓別駅構内模型と天北線資料 タブレット閉塞機 天北線ゆかりの切符やプレート
旧浜頓別駅構内の広大な敷地内にポツンと存在するバスターミナル。その中に天北線資料の展示コーナーがある。真中にある1/150スケールの浜頓別駅の模型はかつてここが巨大な駅であったことを教えてくれる。
おそらくは浜頓別駅で使われていた1台ではないかと思われるタブレット閉塞機。通称「お稲荷さん」。安全運行の要。
プレートに始まり、硬券の発券機、日付捺印機、それらに入れるはさみ、などなど駅の業務で使われていた道具類の展示がされている。記念切符類も充実している。
旧天北線(音威子府〜南稚内)、旧中頓別駅・天北線メモリアルパークと寿公園 (地図
天北線メモリアルパークとキハ22 中頓別バスターミナル内展示 SL9600形
天北線メモリアルパークは旧中頓別駅構内を利用したちょっとした公園とバスターミナル。地元の子供達が元気に遊んでいるその横に、天北線で活躍したキハ22系がポツンと展示されている。
バスターミナルの中にも天北線の展示がある。展示は写真パネルや敏音知駅のタブレット閉塞機、その向こうには駅で使われていた判子なども多数置いてある。判子の展示は結構珍しく田舎の駅なのに盛岡や東京都区内、大阪市内など内地の判子も多数展示されている。まさに鉄道全盛時代の遺物。 市街地から浜頓別方面に少し離れた寿公園にはクンロクが保存されている。プレート番号は49648(9600形の449番機の意味)。天北線でも活躍した車両だが、保存状態が悪いのが残念だが、朽ちてもなお感じる存在感と、雨の当たらない内装がきれいに残っているのは救いを感じる。
旧天北線(音威子府〜南稚内)、音威子府駅構内天北線資料室 (地図
音威子府駅天北線資料室 音威子府駅天北線資料室 名物音威子府そば
天北線は音威子府から東ルートで稚内に至り、木材・石炭などの輸送で活気をみせた路線で歴史は宗谷本線より古い。鉄道ファンに人気の路線で、1989年に廃線となった後も多くの人が訪れている。
資料室は大きくはないが、手作り感のあふれる展示や、かつての駅構内のジオラマなど飽きさせない構成。次に紹介する音威子府駅名物の黒い駅そばをすすりながら、のんびり見学するのも良いだろう。
管理人が北海道で一番気に入っている麺もつゆも黒づくしの名物駅そば。薄味好きには少々濃いかもしれないが、しっかりした味のつゆと麺の相性は抜群。鉄道と共に歩んできた駅そばということで、これも鉄道遺産と言ってもいいのではないか。
旧美幸線(美深〜仁宇布)、トロッコ王国 (地図
旧美幸線の線路 ディーゼル駆動のトロッコ
美幸線は美深と北見枝幸を結ぶ予定で建設されたが、途中の仁宇布駅で建設が中断された。かつての美深町長が赤字経営を逆手にとり、日本一の赤字路線キャンペーンを行うなど話題になった路線。現在は終点の旧仁宇布駅にトロッコ王国が開業し、賑わいを見せつつある。

自動車の普通免許があれば自分で運転できるトロッコ。2人乗りから30人乗りまでトロッコのバリエーションも豊富。コースは旧軌道そのままで、橋梁あり、踏切ありで変化に富んで楽しく、スピード感はかなりのもので、時速40kmも出すと恐さを感じる。
トロッコ王国ホームページ
函館本線(函館〜旭川)、旧神威古潭駅 (地図
神威古潭サイクリングロード 旧神威古潭駅舎 SL 29638
函館本線単線時代に存在した旧神威古潭駅。現在は納内から愛別の長いサイクリングロードの一部となっている。神威古潭駅周辺は公園として整備され、車で訪れて渓谷の景色を楽しむこともできる。
神威古潭駅駅舎は現在はサイクリングロードの休憩所となっており、中の見学も可能。
SL機としてはマイナーな29638だが公園の一番手前に展示されている。他にもD51−6番、C57−201番が展示されている。
道央(石狩・空知・後志)編
旧歌志内線(砂川〜歌志内)、歌志内市郷土館ゆめつむぎ (地図
郷土館ゆめつむぎ外観 歌志内線の資料展示
歌志内線は石炭輸送目的で北海道炭礦鉄道が建設した路線で、後に国有化されたが1988年に廃止となった。

郷土館なので鉄道以外の展示も多いが、鉄道のみでも展示品の数はかなりのもの。展示はテーマごとにされていないため、やや雑然としているが、その分見ていて飽きない。

歌志内市郷土館ゆめつむぎホームページ
旧幌内線(岩見沢〜幾春別)、旧三笠駅、クロフォード公園 (地図
幌内太駅舎(復元) キハ80系特急おおぞら キシ80系食堂車
旧幌内線は石炭輸送のため建設された北海道最古の路線。三笠駅は元々幌内太として開業し、その後名前が変わった。駅舎は当時の復元らしい。昔を知る公園の管理人さんが「ここも昔は列車が入るとすごい混雑になったんだよ」と懐かしそうに話してくれた。
三笠とは縁もゆかりもないが、かつての特急おおぞらが展示されている。現在は展示物の盗難被害と車内のアスベスト汚染の影響で、外観のみの見学となっている。公園の管理人さんと話をしていると特別に鍵を貸してくれたので内部を見学させて頂いた。
昔懐かしい食堂車。当時はここで食事をすることにあこがれたが、今見てみるとこんなに質素な作りだったんだろうかと目を疑う。現在は一部の寝台特急でしか味わうことのできない貴重な空間。
キハ80系普通車 キロ80系グリーン車 キシ80系食堂車の厨房
普通車は昔懐かしい青シート。スプリングが効いたシートは座るとキコキコと音がなり、時代の流れを感じさせる。
えんじシートのグリーン車。今現在の普通車と何ら変わらない気がするが、当時としてはこれでも贅沢だったのねと思わせる車内。
食堂車に隣接した厨房。狭いながらもシンクやレンジ、オーブンまで備わった本格的なキッチン。当時のメニューなぞ記憶にないが、この設備なら結構良いものが作れそう。
三菱大夕張鉄道(清水沢〜大夕張炭山)、旧南大夕張駅 (地図
南大夕張駅駅名標 キ1型ラッセル車 スハニ1客車内
明治44年に大夕張炭鉱の専用鉄道として開業した大夕張鉄道。北海道では貴重な私鉄として最後まで存続した。国道沿いの南大夕張駅一体は当時の車両が保存され、内部の見学も可能である。周囲の炭鉱施設とともに北海道遺産に指定されている。

ラッセル車キ1を先頭に客車スハニ1、客車オハ1、客車ナハフ1、貨車セキ1、貨車セキ1000の順で連結した状態で保存されている。
昭和を通り越して大正のイメージがする車内は、それもそのはず大正2年製造。古くはあるが、保存会の尽力により奇麗に保たれており、使い古された職人道具のような美しさが見られる。
三菱大夕張鉄道保存会ホームページ
旧手宮線(南小樽〜手宮)
以下を参照
小樽市内の手宮線跡
 小樽散策 色内、手宮線編
手宮交通記念館
 小樽散策 手宮、祝津編
道東(網走・根室・釧路・十勝)編
旧士幌線(帯広〜十勝三股)、糠平駅、上士幌町鉄道資料館 (地図
上士幌町鉄道資料館
帯広から上川へと抜ける北海道縦断鉄道として十勝三股まで建設された士幌線。林業輸送の担い手となるが1987年に全面廃止となった。旧糠平駅跡には鉄道資料館が建ち、映像展示など他の資料館にはない一風変わった展示がされている。かつての鉄道路線は整備され遊歩道として整備されている。
旧士幌線(帯広〜十勝三股)、タウシュベツ橋梁 (地図
タウシュベツ橋梁(5月) タウシュベツ橋梁(7月) タウシュベツ橋梁(10月)
士幌線旧ルート上にあったタウシュベツ橋梁は、季節に応じて糠平ダムの湖底に沈む全国的にも珍しい橋梁。本橋梁を含む糠平から十勝三股までの橋梁郡が北海道遺産に指定されている。渇水期はアーチ橋の全貌が見える。水流で削られた表面は美しく、とても昭和12年建造とは思えないぐらいの歴史を感じさせる。

以前は林道ですぐ近くまで行けたが、近年は事故防止のため閉鎖されている。道森林管理局十勝西部森林管理署東大雪支署に林道の鍵を借りるか、片道約4kmを徒歩で行くか自転車を用意する(その際は熊鈴も用意して下さい)、若しくは国道沿いの展望広場から眺めるしかない。
タウシュベツ橋梁は糠平湖でも上流側にあり、春先は水が殆どなく雪解水が沢となって流れている程度で橋梁の見学だけでなく、湖底の散策も楽しめる。季節が進むにつれて水位が増していくので、橋梁の圧倒的迫力を満喫するには5月のゴールデンウィークあたりが最適。
NPOひがし大雪アーチ橋友の会ホームページ
旧士幌線(帯広〜十勝三股)、幌加駅、第5音更川橋梁 (地図
旧幌加駅 第5音更川橋梁
除雪ステーションの裏手にある旧幌加駅。駅のまわりは線路が残されており、当時の面影が残るが駅舎の姿はない。Y字分岐の軌道は今でも動作し、転轍器によって配線を切り替える楽しみを味わえる。
昭和14年建造の第5音更川橋梁。タウシュベツ橋梁とほぼ同形の巨大なアーチ橋。建造時期もほぼ同じで、在りし日のタウシュベツ橋梁の姿がうかがえる。幌加駅から北へ旧鉄道路盤を歩いて行くと見られる。橋の通行は不可だが展望台が整備されている。

NPOひがし大雪アーチ橋友の会ホームページ
道南(渡島・檜山・胆振・日高)編
旧札幌鉄道局追分機関区、追分鉄道記念館 (地図
D51−320番 前景 D51−320番 側面 D51−320番 運転台
鉄道資料館というかD51を中心とたSL資料館と言ったほうが良い施設。5〜10月までの第2・4金曜の定例開館日には機関車が車庫から出される。北海道で最も保存状態の良いD51。保存されている車体は昭和14年日立製作所製D51−320番。

当初は日本で最後に走ったSLとしてD51−241番が展示される予定であったが、機関庫の火災により焼失したため代替機として320番が展示されることとなったという逸話がある。このため、241番の動輪とプレートも合わせて展示されている。

まだ機能しそうな運転台。釜などの可動部も現役で、タブレットなどの小物も充実している。後続の炭水車にも入れる。
安平町追分鉄道資料館特設ページ
旧王子製紙軽便鉄道山線(苫小牧〜支笏湖〜上千歳第4発電所) (橋梁:地図、車両:地図
山線鉄橋 「山線」4号車と貴賓車
明治41年に千歳発電所を建設するために王子製紙が建設した路線。当時は一般客も受け付けたが、業務路線のため安全性については保障せず、乗車券には「人命の危険は保証されず」と書かれていた。山線鉄橋は支笏湖畔にあり、元々の函館本線第一空知川橋梁が王子製紙に払い下げられて現在の場所に移設された。
昭和10年、小樽市の橋本鉄工所製作の山線4号機。現在は苫小牧駅近くのアカシア公園内に展示されている。軽便鉄道ということで狭軌よりも狭い762mmゲージに対応した車体はSLの力強さはなく、むしろ遊園地のあれに近い印象を受ける。
戸井線(五稜郭〜戸井、未成線) (地図
汐首岬橋梁(正式名称不明)
昭和12年に本州航路短絡化と戸井要塞建設のために敷設された路線。資材不足のため昭和18年に建設が中断され放置されている。先に紹介した士幌線第5音更川橋梁やタウシュベツ橋梁と同形同年代の巨大なアーチ橋。すぐ近くに汐首岬灯台があり、灯台までの歩道から鉄道路盤まで歩いていける。
動体保存・道外編
動体保存SL(C11−171番、C11−207番)
C11−171番(SL函館大沼号) C11−207番(SL冬の湿原号) C11−207番運転台
昭和15年、川崎車両にて製造されたC11−171番は、現役時は深名線・瀬棚線・標津線などで活躍。引退後は標茶町で静態保存されていたが、苗穂工場にて動態復元がなされ現在に至る。現在も全道各地の季節列車として活躍している。
昭和16年、日立製作所にて製造されたC11−207番は、日高線・瀬棚線等道内路線で活躍。引退後は静内町で静態保存されていたが、171番と同様に苗穂工場にて復元された。現在もC11−171番共々、全道各地の季節列車としてひっ張りダコである。
SLの運転台と言えば静態保存の暗くて冷たいイメージしかなかったが、実際に動いているSLというのはまた印象が違う。冬だというのに石炭をくべる運転手の熱気や石炭の燃焼熱などで熱気に満ちあふれていた。
旧青函連絡船(青森〜函館)、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸 (地図
八甲田丸 八甲田丸の車両甲板へと続く線路 八甲田丸の車両甲板
青函連絡船は明治41開業の青森−函館間の鉄道連絡船。昭和63年の青函トンネルの開業と共に廃止となったが、八甲田丸はこの時記念すべき最終便として青森を出発した船体。
日本に現存する船体は他に東京臨港の羊蹄丸、函館の摩周丸があるが、当時の線路や車両甲板など、就航当時に近い形で保存展示されているのは八甲田丸だけ。
八甲田丸見学の目玉と言えば、巨大な車両甲板。これが見学できるのは八甲田丸だけ。就航当時は公開されていなかった内部にはキハ80系やDD16などが展示されている。当時の作業路や階段をそのまま用いた入り組んだ見学路も見どころの一つ。
八甲田丸の主機関 屋外展望デッキ
1台1600馬力の中型機関を水平に8台並べるマルチプル・ギアード・ディーゼルにより機関室を低くすることで、12800馬力の高出力を維持しつつ、広大な車両甲板のスペースと低重心船体の両立が可能となっている。

展望デッキも開放されており、晴れた日は青森湾や青森ベイブリッジの景色が堪能できる。

青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸公式ホームページ

参考文献:国鉄全線各駅停車(1)北海道690駅(小学館発行)、上記各項目でリンクされたホームページ