小樽散策 〜手宮、祝津編〜

手宮交通記念館 (4月末〜11月初旬まで営業、冬季休館) (地図
手宮線の歴史に関しては色内、手宮線編で触れたので省略するが、旧手宮駅構内は現在は手宮交通記念館となっている。館内及び周辺には明治時代からの建造物が数多く残っており、平成13年11月には旧手宮鉄道施設として全体が重要文化財に指定された。中でも扇形に配置された煉瓦造りの機関庫と、これらを接続する転車台は記念館の代表的な建造物で一体となって当時の面影を残している。

屋内展示は主に鉄道に関するものが多いが、車や船などの展示もある。蒸気機関車資料館は中央展示館とは別棟にあるので見落としがちだが、こちらもしっかり見ておこう。屋外では広大な旧駅の敷地を利用して総数35両の車輌が展示されていて、車内も当時のままだったり一部改装されていたりとユニークで、休憩しながらじっくり見ていると数時間はあっと言う間にたってしまう。

メインゲート前のクロフォード像 中央展示館のしづか号 「い1号」客車
メインゲートを入るとすぐに見えるのが、幌内鉄道建設の立役者、ジョセフ・クロフォードの像。彼は工事中の豊平川架線橋流失の責任を取る形で全線開通前に政府から解雇されてしまう。悲運な帰国だったが、現在ではその功績が評価され、道内で彼の名前の付いた施設も幾つか存在する。 中央展示館の正面に設置された「しづか号」。明治17年のアメリカ製で北海道の地を初めて走った「義経号」、「弁慶号」と同型。準鉄道記念物に指定されているが、運転席は立ち入ることができる。 しづか号に連結された北海道産初の一等客車「い1号」。小さめのリビングを二つ組み合わせたような変わった座席配置と車内に設けられたストーブ、豪華な天井照明はさすが一等客車。現在の寝台列車などに連結されるロビーカーに雰囲気が似ていて、こういう客車でのんびり旅をしてみたいという気にさせてくれる。
機関車庫1号 転車台 機関車庫3号
明治41年建造の扇形の煉瓦造りが美しい機関車庫。昭和初期に左側3線部分が取り壊されたため、面影を残すのは右側2線のみ。左側3線は平成8年に復元されたもので、よく見ると左側と右側で煉瓦の色が違うのがわかる。動態保存のSLアイアンホースもここに保管されている。 大正8年製造の転車台は昭和49年まで使用されていた。現在もSLアイアンホース号の車庫と本線の入出庫作業に稼働している。また、小樽側ゲート前にも転車台があり、こちらもSL運行時の方向転換に使用されている。 明治13年建造の煉瓦造り機関車庫。3線式の車庫は右側1線が機関車の吊り上げ作業ができるようになっていて、間仕切りがされ、壁面も機関車の重量に耐えられるように厚みを増した形で設計されている。
貯水槽 危険品庫 擁壁
機関車庫1号の裏にある貯水槽。蒸気機関車に給水するための施設として建造され、昭和49年まで現役で稼働した。建設年は不明だが明治末期から大正初期と言われている。 機関車庫3号の裏手にある危険品庫。明治31年頃の建造物は小樽でよく見かける石造り倉庫のミニチュア版とも言える。塗料、油類などの引火性の強い物の保管庫として使われたそうだ。 手宮駅から手宮高架桟橋への上り線路盤の擁壁。この上と下に線路があり、上側の線路をSLに押されて貨車が登って行き、桟橋で石炭を降ろした貨車が坂を利用して慣性で下側の線路を帰って来るという仕組み。昭和30年に崩落事故があり現在では土に被われて斜面のようになっている。ここは、記念館の外なので、すべて見終ってから訪れよう。
ED76電気機関車 ED76の運転席 C5550蒸気機関車
北海道の電化区間で旅客、貨物ともに活躍したED76。旅客の電車化と貨物のディーゼル化で北海道からは姿を消してしまったが、北海道初の電化区間である小樽との縁は深い。 ED76の運転席。汽笛だけは電動で鳴らすことが出来る。この車輌以外にも運転席には汽笛のボタンがついていて、往年の汽笛の音を楽しむことができる。 主に宗谷本線で活躍したC55、50番。現役当時は稚内から小樽行の編成で稚内から旭川間を率いたこともあり、全く小樽に縁のない車輌というわけでもない。現在では急行「利尻」のプレートを付けた客車を連結し子供たちの人気者だ。
キハ82、特急「北海」 食堂車を改装したラウンジ SLアイアンホース号
札幌から函館本線を小樽まわりで函館まで向かった特急「北海」。キハ82先頭車輌とキシ80食堂車の2両が保存されている。キハ82は内装はほぼ当時のまま残っており、スプリングの効いたシートは懐かしさを感じさせる。 キシ80食堂車は改装されて自動販売機コーナーとラウンジになっている。車内は冷房もあり休憩にはもってこい。当時の特急には当たり前のように食堂車が連結されていたが、現在では新幹線や寝台列車ぐらいしか思い浮かばない。営業の効率化と共に忘れていた大切な空間がここにはある。 交通記念館の顔とも言えるSLアイアンホース。運行時は館内放送をしてくれるので、乗らないまでも見には行こう。アイアンホースは明治42年にアメリカで作られた機関車。小型で愛敬のある車体が苦しそうに走り出す姿は見ていてつい応援したくなってしまう。
手宮洞窟保存館 (地図
手宮洞窟保存館は交通記念館のメインゲート前にあり無料で見学できる国指定史跡。洞窟内部に古代の彫刻画があり、発見当時から最近まで古代文字か単なる絵かという論点で論争があったそうだが、現在では祭りごとに携わった人々を描いた彫刻画ということで結論が出ているのだと館のおじさんが教えてくれた。発見は1866年(慶応2年)で、大正時代にはすでに史跡として公開されていたというから驚きだ。現在は風化を防ぐため洞窟内部はシェルター状になっていてガラス越しに眺めることができる。

手宮洞窟記念館 手宮洞窟の彫刻画 保存館前スロープにも彫刻画が
外観は普通の建物のようで、目立たないが、交通記念館の目の前なので記念館に行ったら是非訪れたい場所だ。館内はちょっと寒いので一枚羽織っていったほうがいい。 彫刻画は長年の公開で風化が進んでいて中心部以外は判別することも難しい。全体図があるので見比べながらじっくり見てみよう。館内はフラッシュ及び三脚を用いた撮影は禁止なので事実上撮影不可。撮影したいなら、手ブレを覚悟で手持ちの長時間露光にトライするしかない。 交通記念館と保存館を結ぶスロープにも彫刻画を模写がある。以前から「なんだろう?」と思っていたが、保存館で実物を見て初めてわかった。同じものが国道5号線の平磯トンネル下り車線札幌側入口にもある。探せば他にもあるかもしれない。
旧青山別邸と女中部屋 (地図
旧青山別邸
小樽市祝津
旧青山別邸の女中部屋
小樽市祝津
ニシンの3大漁家の一つ青山家が番屋の背後に別邸として建設したもの。機能的な番屋とは異なり、まさに邸宅そのもの。邸宅の中は見学ができる。冬場は暖房が入っているが、それでも場所によってはかなり寒い。 入り口を入ってすぐの、ちょうど死角になっている扉をあけると階段上にあるのが女中部屋。六畳間の屋根裏部屋のような空間は妙に居心地がいい。入口近くの暖房器の暖気が上がって来て、部屋の中もとても暖かい。宅内をまわって寒くなったら、ここで休憩というのもいい。

参考資料:小樽散歩案内2001〜02版(ウィルダネス発行)、田中和夫著 北海道の鉄道(北海道新聞社発行)、宮脇俊三編著 鉄道廃線跡を歩くIII(JTB発行)、国鉄監修時刻表1976年6月版(日本交通公社発行)