札幌散策 札幌市街編

札幌の街並みの魅力
明治2年(1869)に開拓使が置かれた当時は、実質的な行政・商業の中心地は函館であったが、地理的に南に偏っているという理由から札幌に本庁が置かれることになる。これを起点に、札幌の開発が行われ鉄道・産業が整備されていった。大正11年(1922)には市制を施行。近隣町村との合併・編入を繰り返し、昭和45年(1970)には人口100万人を突破し、昭和47年(1972年)に政令指定都市の指定を受けるに至った。

平成21年(2009)には人口190万人を超え、東京、横浜、名古屋、大阪に次ぐ全国5番目の都市となり、名実ともに北海道の中心都市となっている。他の大都市と大きく異なるのは人口密度で、2009年の人口密度ランクでは全国254番と地方の小都市の水準に過ぎない。大都市の街並みと賑わいが見られる中心街と、その周囲に広がる地方都市独特のゆとり感がバランスよく形成された街並みが札幌の魅力と言えるのではないだろうか。

ここでは地下鉄・徒歩で訪れることができる場所を紹介する。夏場は自転車で散策するのも気持ちいい。貸自転車サービスもJR札幌駅東側にあり利便性の高い「えきチャリ」や、ホテルまで自転車を届けてくれる「レンタサイクル札幌」など充実している。
札幌市道路管理課 都市型レンタサイクル「えきチャリ」
「レンタサイクル札幌」ホームページ

知事公館・北海道立近代美術館(北1条西16丁目周辺)
地図
知事公館
正面玄関
知事公館正門前
村橋久成胸像「残響」
知事公館公開区
「サキモリ」像
知事公館は昭和11年(1396)に三井合名会社の迎賓館として建設されたもの。一時米軍に接収されたが、昭和28年(1953)に北海道の所有となった。さっぽろ・ふるさと文化百選や登録有形文化財に登録された建物は平日は内部見学が可能。一般に公開されている知事公館は全国的にも珍しく、現衆議院議長の横路孝弘氏の知事時代に公開が始まったと聞く。

鹿児島の彫刻家中村晋也・作の胸像は平成17年(2005)に建立された。題材となった村橋久成はビールの父と言われる人物で、開拓使麦酒醸造所建設の責任者。当初、東京に建設予定だった醸造所が札幌で実現したのも村橋の強い意見が取り入れられた結果と言われている。北海道の代表的ビールであるサッポロビールもこの人がいなければなかっただろう。

平成17年(2005)に建立された流政之の作品。流は古流武道や刀鍛冶も経験した元零戦搭乗員でSamurai Artistの異名を持つ人物。右側が2000年左側が2002年の作品。サキモリシリーズは多く存在し、道内には函館駅構内や、札幌市豊平区のアーバンサイトミュンヘン大橋のキタサキモリがある。無機的だが非常に動きを感じる像である。

知事公館公開区
意心帰
北海道立近代美術館
正面玄関
北海道立近代美術館
大柳
昭和57(1982)から開放された構内北側の小公園に、主のように鎮座する大きな石のモニュメントが安田侃・作の「意心帰」である。小公園と言うには広く開放的な園内は、休日になるとシートを広げてピクニック気分のランチを楽しむ家族連れの姿が多く見られる。

昭和52年(1977)にオープンした北海道立近代美術館。館内は常設展示と特別展示があり、2ヶ月サイクルで展示が代わる。美術館らしい堅苦しい展示もあるが変わったものも多い。管理人が見た中ではポスターなどのポップアート展示が印象に残っている。

道立近代美術館の建物東側にある大柳。ものすごく大きくて、とにかく圧倒される。特に意図したわけでもないだろうが、木自体が一つの作品のように感じる。じっと見ていると、愛・地球博のイメージキャラクターのモリゾーのような愛敬ある姿に見えてくる。

時計台(北1条西2丁目)
地図
旧札幌農学校演武場
時計台
時計台
時計台ホール
時計台
1928年制作時計
開放的な北海道のイメージと現物のギャップから、日本三大がっかり名所の異名を持つ時計台だが、重要文化財に指定される歴史的建造物である。明治11年(1878)札幌農学校演武場として、現在のツーバイフォー工法の原形となるバルーンフレーム工法により建設された当時としては簡素な実用建築である。

時計台の2階はツーバイフォー工法らしい規格材が構成する屋根が見て取れ、柱や梁のない広い空間が広がっている。この空間はホールとして利用され、連日、コンサートなどが行われている。ホールは日中の一般見学時間が終わった17:30からの利用になるため、見学時は静かで広い空間を堪能できる。

時計台に用いられている時計は米国ボストン市のハワード社製(製造番号738)で、動力に重りを利用した鳩時計と同様の簡素な振り子時計で、現在も原形のまま正確に作動している。建物内には同型の展示があり動作原理が解説されている。こちらは昭和3年(1928)製作で製造番号は3867番である。

北海道庁赤れんが庁舎(北3条西6丁目)
地図
北海道庁旧本庁舎
赤れんが庁舎
北海道庁旧本庁舎
二階廊下
明治21年(1888)、平井晴二郎を主任とした技師により、アメリカ風ネオ・バロック様式の煉瓦造りとして建築されたもの。使われたレンガは約250万個で、長手と小口を交互に並べたフランス積みが採用されている。庁舎の外観を特徴づけている頂部の八角塔は独立と進取のシンボルとしてドームを乗せる米国式の流行に沿ったもので、明治29年(1896)には煙突と共に撤去されているが、昭和44年(1969)に北海道百年を記念して当時の姿に復元された。

内部は1Fが北海道立文書館として歴史資料の展示・閲覧ができる他、2Fは歴代知事が使用した執務室が記念室として公開されている。他にも、国際交流・道産品展示室、北海道歴史ギャラリー、樺太関係資料館、赤れんが北方領土館、観光情報コーナーなど多岐にわたり利用されている。中に入ると正面ホールの三連アーチや二重窓など、建物自体の発見も多い。現在も一部は道庁の会議室として使われていて、道庁舎とは地下道を通して行き来できるようになっている。

札幌市指定有形文化財 清華亭(北7条西7丁目)
地図
清華亭
清華亭
和室棟
清華亭
洋室棟
開拓使により整備された札幌最初の都市型公園である偕楽園の中に明治13年(1880)貴賓接待所として建設されたもの。翌年には明治天皇の休憩所として利用された。清華亭という名前は完成時の開拓使長官黒田清隆が「水木清華亭」と名付けたことが由来とされている。洋風建築ではあるが和洋折衷が至るところに見られ、庭も洋風の芝生が広がる中、日本古来の築山などが見られる。

開拓使のシンボルである五稜星が施された入口屋根をくぐると、日の光が赤絨毯に反射して、洋館らしい赤い光が射し込んで来る。そのまま真直ぐに進み、木製ドアを開くと、床の間や縁側を備えた15畳の立派な和室が飛び込んでくる。かなり違和感を感じる。更に、この和室は別なドア一枚を挟んで隣の洋室とも直接繋がっている。和室にドアが2枚もあるという不可解な建築物は他に見たことがない。

和洋折衷とは言えば聞こえは良いが、ここまでストレートに連結される構造は珍しい。廊下を挟み和室の入口は障子などの引き戸で構成するのが一般的だと思うが、明治初期の建物ということで試行錯誤の産物なのかもしれない。札幌駅から徒歩で10分ぐらいなので一見の価値はあると思う。洋間は飾り付シャンデリアが設置されたこじんまりとした落ち着ける空間であるがドアの向うは...

中島公園
地図
中島公園
菖蒲池
中島公園
豊平館
中島公園
八窓庵(旧舎那院忘筌)
中島公園は札幌市中央区にあり、市の中心部に位置しながらも、緑と水が豊かな憩いの場として親しまれている。公園の大部分を占める菖蒲池は明治時代に豊平川沿いから伐採された木材の貯木場として使われていたものが公園池として利用されている。園内は札幌コンサートホールKitara(キタラ)や北海道立文学館など多くの施設があり、6月の北海道神宮例大祭には多くの露店が立ち並ぶ。

豊平館は北海道の空に映える白壁が爽快な建物で、明治13年(1880)、現在の北1条西1丁目に開拓使直属の洋風ホテルとして建設されたもの。特徴的な外壁の縁を彩るブルーはラピスラズリから作った顔料であるウルトラマリンが用いられている。昭和33年(1958)に中島公園内に移築され、現在は一般公開の他、結婚式場として利用されている。国指定・重要文化財である。

中島公園の日本庭園内にある小さな茶室が八窓庵。現・滋賀県長浜市の舎那院の境内にあったものが大正8年(1919)に移築された。昭和11年(1936)に国宝、昭和25年(1950)に重要文化財に指定されている。元々は茶人・建築家として有名な小堀遠州(1579〜1647)の茶室と伝えられている。本当であれば安土桃山時代の茶室が、辺境の札幌にあるという極めて珍しい建物である。


参考文献:「都道府県市区町村」内ランキングデータ北海道知事室ホームページ北海道立近代美術館ホームページ札幌市時計台ホームページ、札幌市時計台パンフレット、赤れんが庁舎パンフレット、清華亭パンフレット、豊平館パンフレット、八窓庵パンフレット