小樽運河、歴史の散策路

小樽運河の歴史
大正12年(1923年)に完成した小樽運河は長さ1300m、幅40mの水路として生まれた。海上に停泊した船舶からの貨物の荷揚げには艀(はしけ)舟が使われた。運河方式ともいうべき荷揚げスタイルは戦後の樺太輸送の断絶と、太平洋側の苫小牧港の整備、小樽港湾内の埠頭の整備によって衰退していく。

昭和40年代になると既に無用の長物と化していた小樽運河を埋め立て、道路として整備する方針が小樽市によって打ち出され、これに対し運河の保存運動が全国規模で高まった。市側は当初の全面埋め立てに対し、運河の半分の幅を残す妥協案を提示するが、全面保存を求める保存派と意見が折り合わないまま、昭和58年には埋め立て工事が着手、昭和61年には道道小樽臨港線が開通する。

運河の沿線には「小樽運河ふれあいの散歩道」として散策路が整備され、皮肉にも、我々が今、観光名所として目にする小樽運河が誕生することになる。かつての岸が今の道路の中央分離帯あたりにあることは、「散歩道」の案内板でも知ることができる。

「小樽運河ふれあいの散歩道」を歩く
小樽運河には大小4つの橋が架けられている。東(札幌寄り)から浅草橋、中央橋、竜宮橋、北浜橋である。一般に小樽運河と呼ばれている部分は浅草橋から竜宮橋周辺までの埋め立てられた区間で、それ以降は北運河と呼ばれることが多い。最も多くの観光客を目にするのは観光案内所がある浅草橋周辺である。観光ガイドなとで取り上げられる写真は、ほとんどがこの橋から見た風景だ。散策路はここからスタートする。
「ふれあいの散歩道」案内板
記載された断面図は、かつて道路の下が運河であったことを教えてくれる
運河と石造り倉庫群、浅草橋より 壁画、運河の歴史 竜宮橋より見た小樽運河
観光ガイドなどで馴染みのアングル。浅草橋の観光案内所前では有料で記念写真を撮ってもらえる。 散策路中にいくつか設けられている壁画。かつて運河が運河として機能していた時代が描かれている。 浅草橋から少し歩くと、倉庫群から抜け、開放的な感じになり気持ちいい。ここまで足を運ぶ人はほとんどいない。
北運河、往年の運河を行く
竜宮橋を越えて進むと6車線の臨港線がはなれて静かになり、突然運河の幅が広がる。かつての40mの幅を持つ北運河だ。北運河のほぼ中心には北浜橋という歩行者専用の橋が架かっているが、橋の先は行き止まりになっていて運河の景色を楽しむために架けられているような橋である。

更に進むと運河公園の前で運河は終わる。かつてはここから旧日本郵船小樽支店の前まで水路があったそうだ。現在では運河公園として整備されている。北運河周辺の観光名所といえば旧日本郵船小樽支店ぐらいだが、小樽を訪れるなら是非足を運んで欲しい場所だ。

北運河にかかる北浜橋 北浜橋より札幌方面を望む
歩行者専用の北浜橋。この橋は観光タクシーのルートになっているようで、たまにタクシーから降りてきた観光客が写真を撮っているのを見かける。 北運河には今でも小型船舶が数多く係留され、昔の様子がなんとなくではあるが想像できる。
運河の終点より札幌方面を望む 運河公園と旧日本郵船小樽支店 港側の旭橋から見た小樽運河
運河の終点にある道路上から全体を眺めてみると、運河がいかに大きな設備であったのかがよくわかる。 かつての水路に沿って石張り舗装が施され、水路を囲むようにあった石造り倉庫も再現された運河公園。公園中央に設置された噴水に至っては当時の水路の1/4サイズという懲りようである。夏の晴れた日には噴水傍でお弁当を広げるなんてのも、いいかもしれない。 運河を逆側から眺めて見るのもいい。ちょうど臨港線が山側に離れていくところが見えるのが、港側の旭橋。運河に停泊してい船舶はこの下を通って小樽港に入っていく。

参考資料:歴史的建造物と町並み・小樽(小樽市教育委員会発行)、小樽散歩案内2001〜02版(ウィルダネス発行)、北海道スペシャル・北の挑戦者達「よみがえれ運河の街〜小樽を二分した大論争〜」(NHK札幌放送局製作)